海山砦

別名 海山城
      遠見山砦 
付近住所 愛媛県今治市波方町波方 現在 海山城公園
2009/11/15 案内板アリ


 遠見山(現在は海山という)とは、遠見番所(見張所)に由来する地名であるが、ここには大宝律令時代(8世紀頃)から番所が置かれ、宮崎の火山であげた狼火は、金山、海山(遠見山)、近見山を経て今治市(府中)の国府へと伝達されていた。
 中世初頭には、現在の養老地区の「別台」に「館」を構えた在地勢力があり、海山を「詰ノ城」として活用していたが、室町時代に来島村上氏が勢力を増し、その勢力下に吸収された。
 守りの拠点であった海山の砦も、「来島城」や、「波方館」防衛のための水軍城砦郡の一つとなったが、来島氏も海山を重視し、ここに遠見番所を置いた。しかし、関ヶ原合戦後、来島氏が豊後の森(大分県玖珠町)に転封後は、砦も壊され、当時の遺構の面影は失われ、犬走りの一部が、わずかに散見されるのみである。
 この城塞型の展望台は、構造、規模は異なるが、当時の面影を偲んで、建設したものである。

         

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